休日にしていることと言えば・・・
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■−4月13日(土)−
■−4月15日(月)−
■−4月18日(木)−
■−4月19日(金)−
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■−4月27日(土)−
■−4月29日(月)−
■−4月30日(火)−

4月13日(土)
 広島に単身赴任している父親が一時帰宅。朝、その電話で起こされる。時間は10時30分。
「おい、起きたか?」「ん、うん・・今起きた」「下、鍵開けてくれ」「・・・・は?」
電話はなんと家の前からだった。家の鍵持ってなかったんだ・・・。ということで起床。
 先日にDLを失敗していたラグナロックオンラインのEXEファイルの再DLが成功しているの
を確認するのと同時にそのままちょっと遊んでみることにする。この時午後1時ちょい過ぎ。
黙々と冒険をし、途中でちょっと前からやっていたらしき人にアドバイスやら何やらを
教わり、更に冒険を続ける。途中妹親子がやってきたのでちょこっと子供と遊んだりし、
夜御飯を食べてそこから再びオンライン。9時過ぎにメサっちから電話があり、一緒に
オンラインを楽しむことにする。合流してから1時間ほど遊び、別れる。拙者はそのまま
再び黙々と経験値稼ぎ。気がついたときには12時を回っていた。身の危険を感じた拙者は
すぐに何かに書き込みをして就寝。久々に消費活動のみの一日となった。

4月15日(月)
 仕事の休憩時間、母親から留守番電話があったのでかけてみた。その時、どういう連絡
なのかというのはある程度予測はできていた。

「・・おばあちゃん、危篤だから・・・」

 父方の祖母の容態が悪くなったのは日曜日のことだった。土曜日までは普段通りに行動
していたらしく、つい先日まで入院していた祖父を尻目に、一人元気に振る舞っていた。
しかし日曜日突然トイレで動けなくなってしまったという。すぐに病院に運ばれ、検査。
その時発症していた病名は三つ。「S状結腸憩室穿孔」「汎発性腹膜炎」「敗血症」だ。
どうやら肛門近くの大腸で宿便が溜まりすぎ、周囲の組織が腐敗していたという。それが
破れ、老廃物が身体中にばらまかれてしまった(話によると横隔膜の下あたりまで排泄物
があったらしい)。そこから毒素がばらまかれ、容態が急変してしまったという。
はじめ、非常に危険な状態であった為に手術に踏み切れなかったらしいが、どうやら手術
ができる位になったそうで決行したという。だが、その時は既に手遅れに近い状態だった。
すでに意識不明となり、脈拍も途切れ途切れになっていたと両親は言っていた。
 そして、拙者は3時に仕事を上げてもらい、板橋徳丸にある祖母の家に直行した。
既に親父が待機していた。本当に何年ぶりか、久しぶりに見た祖父はすっかり老いを感じ
させる体つきをしていた。こういうとき、どういうやりとりをすればいいのか。
何もわからないまま兄弟が到着、親父の弟がやって来てとりあえず病院へ移動。
到着すると同時にICUへと向かう。
・・しんと静まりかえったその場所は妙に息がしづらかった。
面会出来るということで、上着を羽織り、祖母が横たわっているベッドに一人移動する。
・・・そこには・・・機械で生かされているという感じの祖母の姿があった。
「もう絶対助からないだろう」というのが祖母の顔を一目見ただけでわかった。
自然と身体が震えた。目をそらしたかった。だが・・・目を離すことが出来なかった。
変わり果てた祖母、その周囲でやりとりをしている医師達、無機的に動き続ける機械。
すべて現実だ。息をするのを忘れてしまっていた。
 気付けば新年会などでよく集まっていたメンバー+αがほぼ勢揃いしていた。
このような事態でなければお互いの状況を話し合ったりもするだろうが、今回は軽い挨拶
程度で終わった。
 一応主治医から病状、そしてこれからのことを聞き、解散ということになり、拙者達は
一旦祖母の家に戻った(親父が留守番をしており、そこに妹の子供の片割れがいたから)
そこで一息ついた途端、病院から電話があった。容態が急変したと・・・。
 すぐさま病院に向かい、主治医から今日の夜から明日の朝がヤマだと話を受ける。
母親は「皆に会えたから気が緩んだんだろう」と言っていた。
 両親は結局そのまま祖母の実家に泊まり、病院からの連絡を待つことにし、拙者達兄弟
と妹の子供達だけが日野の家に戻ることになった。日野に到着し妹を帰した後、拙者は弟
と二人で近くのファミレスに行き遅い夕飯をとった。オーダーを取り終わり、トイレから
戻ってきたところに妹から電話があった。

「おばあちゃん・・ついさっき亡くなったって・・・」

そして18日に通夜、19日に葬式ということになった。
・・・休日は葬祭で終わるということか・・・

4月18日(木)−通夜−
 一体何度寝しただろうか、気付いた時には午後の2時半だった。身支度をし、3時に家
を出て、4時半頃に西武池袋線の江古田駅の近くにある江古田斎場へ到着。今回は受付で
記帳を管理する人間をさせられることになった。といってもあまり難しいものではないと
いうことは皆様もご承知の通りである。5時より受け付け開始だったが、6時の開始直前
まで非常に暇だった。やはり会社帰りでやってくる人間が多い為であろう。受付をしなが
ら途中に焼香に行ったりし、7時頃に通夜は終了。その後は皆で食事をとりながら雑談。
・・しかし、拙者ともう一人受付で立っていた人間は完全にその場で取り残され、輪の中
に入ることなく黙々と食事だけとって終了となる。二人で「寂しいねぇ」を連呼していた。
 そして9時にその食事会も終了。未だ祖母の顔を見ていなかったので見に行くが、酒で
完全にやられてしまっていた従兄弟が泣きながら祖母の前でちょっとキレていたので(な
ぜ祖母に触れることができないのか、とか)、それを見てタイミングを逃したかなぁと
思い、今日はそのまま撤退することにした。
 明日は告別式だが、11時までに斎場に行かなければならない。9時出ということだ。

4月19日(金)−告別式と芝居−
 出発の15分前に起床し、急ぎ準備をして弟と共に江古田に出発。到着したのは10時半を
越えた辺り。そして11時頃から2時間ほど再び立ちっぱなしで受付をやる。焼香、献花を
終えて棺に蓋をし、親父がスピーチをした・・初めて涙が出た。出棺を手伝い、そのまま
落合斎場へ行き焼く。骨をお箸で骨壺に収め、儀式が終了したところで再び江古田に戻り
初七日の儀式を行う。最近は一緒にやってしまうらしい(皆早々休むことなど出来ない)。
その後精進落としという会食を行った後、解散。拙者はそこから約束の地、新井薬師へ。
 まず環七に出てそこから高円寺方面へと一直線。途中で中野へと方向を傾けつつ徒歩を
続けていると1時間ほどで新井薬師へと到着。約束の時間までまだ時間があったので1時間
弱ほど喫茶店で過ごし約束の場所へ。本日は大名の出る芝居を見に来たのだ。
 どちらかというとライブ会場のような感じの所で公演。すぐ目の前で芝居が行われる。
ふと小学校の時に体育館で見たどこぞの劇団の劇を思い出した。あれ以来こういうのを
見た試しがないことに気付いた(学芸会などを除く)。ヴァンパイアを題目とした芝居
だったが、なかなか考えてあるシナリオだと思ったりした。ちょっと台詞落ちしてしまう
部分もあったが、大名は特に問題なくこなせていたと思う(台詞も少なかったしね)。
そして、久しぶりに座り続けていたら尻が痛くなってきて後半はかなり厳しかった。
芝居は2時間弱で終了し、意見の紙を書いて大名に(本当に)顔だけ見せて帰宅。疲れた。

4月21日(日)
 いつもの時間にいつもの場所でポテキチ殿と待ち合わせ。そしてそのままポテキチ邸へ。
本日はポテキチ殿と遊ぶというスケジュールなのでした。というか、休日が飛び石連休で
あったりしたというのが本当に数日前に判明したことだったのですが、日曜日ということ
もあり無事に19日に起きるハズだったイベントが2日ずれるだけで済んだのでした。ふぅ。
 で、ポテキチ邸では本当にのんびりとさせてもらいます。それはもう我が家のように。
バカな話をしながらPCゲームをしたり、PCの話をしながらゴロゴロしたり、バカ漫画の
話をしながら御飯を頂いたり・・・。もうここまで来ると恒例のイベントです。最近は
特にそうでして、今年に入ってからは既に3回ほど遊んでいると記憶しています。会える
時に会っておきたい人物と拙者の中では認識されておるようです。本当に遊びたいなぁと
1ヶ月周期で衝動が起きます。昔はもっと遊ぶにしても間隔が長かったような気がします。
ですので、最近は良く会えるので嬉しいです。今度はわが社のメンツで集まりたいです。

4月27日(土)
 朝、10時半に起床。そこからゴロゴロとファミ通を読み始め、1時間後に本格的に始動。
今日は絵を描く予定だったので外出するつもりはなかったが、一応本屋へ足を運んでおく。
すると「えの素」の6巻が出ていたので慌てて購入。2年ぶりの最新刊だが、相変わらずだ。
あとは黙々と絵を描いて、トレスしてスキャナで取り込んで、色を塗っていた。
夕飯前に一通り仕上げることが出来たので、そのままアップして適当に夕飯をとる。
 夜、れっど君から電話があり、仕事の話やコミケのスタッフの話を30分程する。
来月の下旬あたりに上手くいけば遊べるかもしれない。楽しみである。

4月29日(月)
 朝9時半に起床。朝御飯を食べたあと、庭先にある物置の整理をするというので弟と共に
それを手伝う。一時間ほどだらだらと整理したり、庭の木の葉裏に付着していた謎の虫の
卵を黙々と取ったりした後、流れで買い物に。物置に設置する引き出しを買ったり、弟と
小動物(主にハムスター)を眺めたり、自転車を見てみたり、昼御飯を買ったりして帰宅。
 そこから拙者は黙々と大悪司をやるが、希望通りに事が運ばず、結局途中で投げ出す。
ストレス解消手段として落書きを行い、それで一日が終了してしまう。
 ・・・金があってもなくても拙者の休日はこんなもんなのだろうか・・・。

4月30日(火)
 10時半起床。給料の振り込みを確認したりするために外出。で、給料をみる。
・・・とりあえず予想以上に少ないことを確認。どうやらY田さんの言っていたことは
本当らしい。給料明細を見ていないのでまだなんとも言えないが、厚生年金等が引かれて
いるとしたら、20日分の給料でもこれくらいで普通だと言えるだろう・・・おそらく。
だが、もし年金等が引かれておらず、更に交通費もこれに入っているのだとしたら、
それは恐ろしいことになる。そう、明らかに契約違反である。
だが、そんなことでさっさと辞めるというのも癪に障るので我慢することにする。
まぁ勝手に色々と思いこみをしているだけなんで、この文章も後から見たら「アホだな」
と思えるに違いない・・・そう願ってやまない。
 あとは大悪司を黙々とやったりやらなかったりして無駄に時間を浪費していた。
 夜、M脇さんから電話があり、明日は午後3時から出勤だということを聞いた。どうやら
遂に閉店後の作業を覚えていくことになりそうだ。Y田さんから聞いた、時給計算という
のが事実であった今、とにかく多くの時間働きたいと思った。借金返済の為に・・・。

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